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ジャッジする癖?
生きづらくする思考
「ジャッジする」と言う考えがあります。
ジャッジが悪いというお話ではありません。
ジャッジが悪いもジャッジになりますし(^^)
人は生き残る為に、生存本能で
危険とジャッジして回避したり
不快とジャッジして環境を変えたりします。
自分や家族や国を守ったり、社会の中にルールがあることは必要なことだと思います。
今回は、過剰なジャッジについてをテーマにします。
どんなジャッジがあるでしょうか?
善と悪
良い人と悪い人
好きな人と嫌いな人
成績の良い子悪い子
得意と不得意
お金持ちか貧乏か
損か得か
などなど…
ありとあらゆることが
白と黒の二極に分けられます。
では、ジャッジすることにどのような問題があるのでしょうか?
善と悪の二極の世界観ですと、
自分にとっての善は
相手の立場からすると悪になります。
逆に、相手にとっての善は
自分の立場からすると悪になります。
自分や家族や国を守る為に、危険か安全かを判断する、ジャッジすることは良い事のように思えます。
どこかモヤモヤしませんか?
あなたが誰かからジャッジされた時、どのような感情が湧いてきますか?
攻撃されたように感じたり、決めつけられて不愉快になったり、分かって貰えなくて残念な気持ちになったり、、、決して良い気分にはならないと思います。
ジャッジする人は、他人のことをジャッジする人のように見えますが、
実は自分自身のことをジャッジしています。
自分の行動や思考を優劣や善悪などの価値観で裁きます。
例えば、以前の私ですと
「今日も疲れたなぁ、、イヤイヤ何にも結果残してないよ!」
「遊びに出掛けたいなぁ、、ろくに働いてないのに何言ってるの?」
そんな風にいつも厳しい私が見張っているのです。
そのような厳しい見張り役のような人を頭の中に住まわせていたら、
人生何も楽しくない ですよね。
物事への関心や自己実現する気力を奪いますし、自己肯定感や自尊心は育ちません。
見張り役の正体は一体何なんでしょう?
気になる方は、一度掘り下げて見ると面白いかもしれませんね。
過剰なジャッジをやめるには?
①グレーゾーンを設ける
白と黒の世界の真ん中にグレーを足したらどうでしょうか?
グレーとは白でも黒でも無い曖昧なゾーンです。
グレーなゾーンがあることを認めるだけで、自分の中の衝突や苦しさはかなり無くなるはずです。
グレーの考え方とは具体的にどんな感じか説明します。
「白であるべきだ!」
「黒であるべきだ!」
から
「白であるに越したことはない」
「黒であるに越したことはない」
そんな風に、自分の中の決まりを緩めてやるイメージです。
グレーな余白、余裕、ゆとり、、、
それがあると生きづらさが無くなったり、周りの人や自分に優しくなれたり、心持ちが楽になれるのです。
お子さんをつい叱ってしまう、周りの人につい厳しく接してしまう、、そんな方にお勧めです。
②ジャッジの裏には?
心の中にある、その強い拘りはどのようにして作られたのでしょうか?
もうお分かりの方も多いかと思いますが、過去の体験で心の中に残った未消化な感情があるからです。
RASセッションでは自分が無自覚の拘り(信じ込み)を特定して解放しますから、セッション後は知らぬうちに楽になっていた。そんな風に変化していきます。
③縦の繋がりの世界観をやめる

ジャッジする世界観とは左側
ジャッジの無い世界観が右側です。
因みに、RASは右側です。
どちらの生き方が正しいとか正しくないと言いたいのではありません。
多くは書きませんが、立つ位置によって見える景色や感じ方は違うでしょう。
在り方は自分で決められます。
ある時から、ジャッジのない個々が自立した在り方を私は選びました。
モラハラ夫だった旦那も気が付いたらに右側にいました。
そうして良かったと思っています。